多田道太郎『風俗学 ― 路上の思考』より
視覚中心の文明がすごい勢いですすむと、他の感覚の抑圧が深まり、そして抑圧されっぱなしだったそれらの感覚は、あるとき、歴史の皮肉が働いて、いっせいに視覚への反訳をもとめ、いわば反逆をはじめる。手ざわりを視覚化して素材感を出すというようにして・・・・・。感覚的、表層的なものが、かえってこれらの社会では、もっとも深いものの表現であるという逆説が成立する。なぜなら、深い闇のなかにあったものが、反訳をもとめて浮かぶあがるその場所は、理念の体系ではなく、感覚の表層なのだから。