『田村隆一全集 6』読了
先日図書館から借りた『田村隆一全集 6』(河出書房新社)を読了しました。ページ数はなんと570頁です。全集にはいつも通り付箋が立っていますが、その数も半端な数ではありません。
この全集を編集したのが、あの長谷川郁夫さん*1です。長谷川さんがこの全集の6の「解説エッセイ」に、田村さんを”大人の詩人”と称して、次のように書いています。
じつは、近・現代史の歴史を眺めても、私のみるところ“大人の詩人”といえる存在は堀内大學と西脇順三郎。金子光晴、草野心平、三好達治を数えてもわずかに五人。朔太郎は成熟しきれず苦闘のうちに五十六歳で斃れた。田村隆一は「後進国」の迷妄が生み得た六人目の、そして最後の詩人となる。
そして、詩人の読書はというと、次のように書いています。
詩人の読書生活のおおよそは詩作品や随想のなかから推量されるだろう。鎌倉では森鴎外「渋江抽斎」、永井荷風「断腸亭日乗」を繰り返し読み、内田百けん、吉田健一を愛読した。昔読んだハックスレーやオーウェル、モーリアック「内面の記録」などを読み返すこともあった。晩年のベットの脇には、ソロー「森の生活(ウォールデン)」やプラトン「饗宴」の文庫本が置かれていた。
これが田村さんの読書でした。森、永井、内田、吉田の各氏は言われてみるとなるほどと納得してしまう方々です。そうした方々の著作を読みながら、新しい詩作に励んでいたのでしょう。
いや、励んでいたという言葉は田村さんには不向きです。励まずとも、自ずと詩想が浮かび、言葉が去来したのでしょう。田村さんは大人の詩人としても、最後の詩人ですし、なにより天性の詩人ですから。
であればこそ、『田村隆一全集』残り5巻、どうにか読みたい。そう、夏休みに図書館からまとめて借りて、『田村隆一全集』の完全読破をめざしたいと思っています。*2