ブログめぐりをして

今日は昨日の天候とは一転、爽快な晴れの一日でした。GW中なので、本の整理をしたり、雑誌を読んだり、芝居を観に行ったりと、何かとあわただしく一日が過ぎていきます。

これだけ連休になると、気持ちもゆったりし、あれもこれもやりたくなります。しかし、やろうと思っていたことがやり切れたためしはなく、いつの間にか連休が終わってます。

では、何もやらないGWがあってもだろうと考えます。だらだら、ごろごろ、ぐでぐでと、一日を過ごしてみる。何とも贅沢な、何ともぐうたらな日々。でも、すぐまた飽きてしまいます。

あの日から、せわしなく、めまぐるしい日々が続いていますが、でも、そんなGWであってもいい気がような気がします。いま自分ができること。それをやるために休養も必要です。

さて、一日の朝は新聞とネットで始まります。まず、新聞の大見出しや中見出しを見ます。次に気になる記事を読みます。

例えば、今日ですと、5/5日本経済新聞のスポーツ欄に掲載の豊田秦光さんの「チェンジアップ」というコラムで、野球の斉藤祐樹君のことを書いてました。これをチェック!( 豊田さんのコラムは必読です!)

次は、ネット。「はてなのアンテナ」を利用して、更新されたブログをフォローします。これは便利なのですが、どんどんアンテナに登録していくと、フリーでの限度200件を超えてしまいます。この点ご注意ください。

はてなのアンテナ」に登録しているブログで日々更新されているのが約70から80ぐらいでしょうか。それを日々読みます。多いと思いますが、更新された日だけを読みますので、それほど負担ではありません。

ではそのアンテナから、気になった記事を拾います。当ブログのネタにしたり、ブックマークに登録したりしています。一時的にそのサイトを登録する場合にはFirefoxのアドオン「ScrapBook」に登録しておきます。( あるいは、Firefox4以降、新しいタブ機能として追加された「タブをビン留め」を使用したりしています。これは意外と便利です。)

今日気になって記事はというと、林哲夫さんの「daily-sumus」と「漁書日誌ver.β」で、ノーマークの本をチェックしました。

5/4の「daily-sumus」では「書物の灰燼に抗して」と題して、四方田犬彦さんの新刊を取り上げていました。カバーも掲載されていますが、これが工作舎風といったら言いのでしょうか。らしい装幀になっています。

また、そこからの引用も記されていました。が、特に気になったのはエッセーに触れた引用でした。以下の箇所をメモします。

エッセーとは文化と呼ばれる自然へのもっとも先鋭的な批評行為となりうるだろう。

エッセーとは試み書きである。エッセーにもし方法があるとすれば、それはあらゆる方法論に反抗することでしかない。対象をめぐる解釈はときに過剰な解釈であったとしても、不都合ではない。その対象の内側に潜在的に隠されている諸要素を引き出し、それらをして自然と語らしめる術こそが、エッセーにおける解釈の権能なのだ。エッセーはこれまで論じられてこなかったものを意図して対象に選ぶことで、そこで獲得された認識を古い枠組のなかに差し戻すのではなく、枠組のあり方そのものを審問にかける方向へと向う。


書物の灰燼に抗して—比較文学論集
四方田犬彦
『書物の灰燼に抗して』
工作舎



また、5/4の「漁書日誌ver.β」では、新刊紹介の中で、これもノーマーク。この2冊をメモしました。仲正昌樹さんの本はすでに今年の2月に発行されていました。


資生堂という文化装置 1872-1945        ヴァルター・ベンヤミン――「危機」の時代の思想家を読む



次にすることは書評が掲載されているかどうかを確認し、されていれば読みます。そして、amazonや書店のHP・ブログでの取り上げ方を調べます。また、最寄の図書館にあるかどうかもチェックします。

図書館にあれば、ネットで予約をし、なければ書店に行き、実際に手にとって見ます。そこで借りて読むか、買って読むかを決めます。決まらない時はいったんクーリングオフします。( 古本の場合は、思い立ったら吉日で、悩んだら買いです。)

ということで、今日のブログは以上で。