松岡正剛の書棚2
「松岡正剛の書棚」の続編があるかもと書きましたので、引き続きその2を掲載します。これは松岡正剛『松岡正剛の書棚』中央公論新社を読んで、これはいい!!という箇所、これは知らなかった!という箇所をメモしたものです。
1. 岩波書店の会長小林勇の『蝸牛庵訪問記』は露伴を読むには絶対必読のサイドリーダー。・・・・・(中略)・・・・・ 最近は露伴が読まれていないらしい。これはいけません。水村美苗は『日本語が滅びるとき』で明治文学を読むことこそ、日本を支え持つ力だと書いたけれど、まさにその通り。それには露伴なのである。p13
2. 数学者の岡潔には美とこだわりがある。既存の数学では表せないものにこだわる。そしてそこに数学者としての美の思いを注ぐ。例えば「春の宵」は、数学では表せない。そんなものは俳句にしかならない。けれども岡に惹かれてしまう。『春宵十話』は、そういう「情緒の数学」を描いたエッセイ。超名著。p23
3. エリック・レイモンドの『伽藍とバザール』は、アラン・ケイ時代から、ビル・アトキンソンのハイバーカードやリーナス・トーバルズのLinuxが生まれていった背景を巧みにドキュメントした。IT技術は、設計図に基づいて大建築を構築するかつての「伽藍型」ではなく、みんなが少しずつアイデアを持ち寄る「バザール型」の開発で進んできた。今日のブログやツイッターの時代に読めば、その「先」を考えるヒントになる。p33
4. 柳宗悦もゼッタイにはずせない。どれもいい本だが、『民藝四十年』が一番わかりやすい。この本は「雑器の美」とでも言おうか、生活の器の中に美を見つけ出したプロセスを披露した。日本人が日用品に目を凝らすようになったのは、宗悦のおかげだ。p56
5. 日本文学絶対必読は折口『死者の書』と足穂『弥勒』とこの『野火』。戦争という極限状況で『光景』というものをさまよいつつ人間を喰う。“常識の鬼気”が活写され作品は、他に野上弥生子『海神丸』など。p91
6. 青山二郎は白洲正子を叱れる唯一のオヤジだった。小林秀雄が「青山二郎だけにはかなわない」と言ったのは有名である。青山学院とも称され、若き日の大岡昇平・小林秀雄・白洲正子たちが影響をうけたのだが、「お前らは手で物を見ていない」とボロクソに言われていた。その青山が『利休伝ノート』で、トルストイと利休を比べている。この対比に僕はショックを受けた。このような目で利休を見ることができた者は、その後一人も出ていない。p116
7. 先日亡くなった平岡正明*1は、犯罪者同盟を六○年代後半に興して、わいせつ容疑で捕まったような変わった男だ。「庶民」の芸術を取り上げた鶴見俊輔の『限界芸術論』に対して、「庶民と言うな」と噛み付いた。・・・・・(中略)・・・・・ 僕が読む限りでは鶴見俊輔には分らないかもしれない『平民芸術』のなかに、ラディカルな思想を込めていった。もし、谷川雁が書き続けていればこういうことをかくかもしれないものの、谷川はとっくに本を書かなくなったので、一人平岡が頑張り続けたということになる。p117
8. 『デザインは言語道断!』を書いた川崎和男は、言葉と科学が同居する日本では稀なプロダクトデザイナー。『川崎和男ドリームデザイナー』ではこんなエピソードが紹介されている。川崎は事故に遭って車椅子に乗っている。事故の後、レントゲンを撮ると、つまらないボルトがそこに入っていた。それが許せない。自分の体の中にあるものは、自分で作りたいと言ってデザインしようとした。ところが、医者以外の者が、体の中に入れるものを作るのは法医学上禁止されている。それならということで、三年で医学博士となってしまった。p120
と、書き始めると切りがなくなります。それだけ!することがあちこちにあり、それを追うだけでも、1年間の読書計画が立てることが出来そうです。いや、それ以上の年月が必要か。
改めて、松岡正剛さんの書棚を見直したい。書棚には私たちの想像をはるかに超える本が並んでいます。その読書録があの『千夜千冊』になっています。凄い読書人です。驚嘆せざるを得ません。