松岡正剛の書棚1
今日は読もうと思って、ずっと積読状態になっていた『松岡正剛の書棚』中央公論新社を読んでいます。副題は「松丸本舗の挑戦」。
まず<「究極の棚」への序奏>を読んでいます。松丸本舗の構成が出来上がると、次に最も小さいな「意味のモデル」を作ろうとしました。それが棚です。
<棚は孤立してはならない。本の1冊ずつに多様な意味が充填されているように、その本の複合知や集合知である本棚も、たえず可変的な文脈をもつように組み合わされなければならない。>p7
棚というと、80年代のリブロの今泉棚を思い起こします。その棚は当時の店長今泉正光の発送で、<あらゆるジャンルを横断する流動的な「知のパラダイム」を棚で表現しようとした>。田口久美子「私(たち)はなにをどう売ってきたのだろうか」(池澤夏樹編『本は、これから』岩波新書)
また、<永江朗が著書『セゾン文化は何を夢みた』で今泉棚を「旧来の年表でなく海図と評価している>。(同書)
棚づくり=たえず可変的な文脈をもつように組み合せ=あらゆるジャンルを横断する流動的な「知のパラダイム」=新しい海図づくり
こうして、松岡さんの新たな棚づくりが始まることになります。わたしはまだその入口に立っています。
※タイトルを「松岡正剛の書棚」とし、今回が1で、2、3と少し続けるかもしれません。