この言葉には参った!

この言葉には参った!という言葉ってあるものです。

<・・・この二一世紀に生きるわたしたちは、さまざまな領域で、猛烈なスピードの技術革新にさらされており、否応なしに、(一定程度の)の適応を迫られている。本を読む環境も、IT革命と無縁でいられないことは、もちらん承知している。でも、はっきりいって、わたしには新たな知識・技術を追いかけている暇もなければ、義理もない。だから、テクノロジーやメディアの変容に関連して、問いかけられたときには、なんてたってこの俺さまは、ジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)が次の言葉を書いた年齢に近づいているんだぞと、開き直ることにしている。>

という、ルソーの言葉。

<私たちは生まれると競技場に入り、死ぬとそこから出て行く。コースも終りに近いころになって、二輪馬車を操縦する腕を上げたところでなんの役に立とうか。もうこのときになって考えるべきことは、どのようにしてそこから退場するかということしかない。老人にまだ勉強しなければならないことが残っているとすれば、それはひとえに死に方を学ぶことであって、しかもこれがまさに私の年頃の人間のいちばんなおざりにしている勉強なのである。>( ルソー 『孤独な散歩者の夢想』「第三の散歩」 佐々木康之訳 白水社 1986年 ) ともにp240

これは池澤夏樹編『本は、これから』の宮下志朗 「しなやかな紙の本で、スローな読書を」からの引用です。

この開き直りに賛同しますが、なんとも重いボールを投げられた気持ちです。このボールを投げ返せるかどうか。

本は、これから (岩波新書)        孤独な散歩者の夢想 (岩波文庫)

※宮下さんが紹介している、ルソー『孤独な散歩者の夢想』の白水社版の書影がなかったので、岩波文庫版のそれを掲載しました。また、以下は宮下さんの著書です。

書物史のために     読書の首都パリ     本を読むデモクラシー―“読者大衆”の出現 (世界史の鏡 情報)