松山巖 『ちょっと怠けるヒント』 から

松山巖 『ちょっと怠けるヒント』 (幻戯書房 ) から、松山さんのキーワード「雑学」と「道草」についての文をメモしておきます。

【雑学】
< 柳田國男がはじめた日本民俗学自体が、そうした日本人の原初的な心を摑まえてみたいという思いによって成立している。しかし、柳田などが熱心に民俗学の必要を唱えても、それは好事家の雑学としか考えられなかったのではないか。ちょっと面白い話としか思われなかったのでは。柳田以前に、日本の古い伝承を調べたり、失われゆく伝統的な祭祀や遊びを丹念に収集したり、生活文化を研究した先達はいる。けれども、それだけに社会の進歩発展とは無縁の雑学とみなされていた。
 時代を画する発想発見はすべて雑学と思われた学問からはじまっている。ほかの学者にはその意図がなかなか伝わらない。評価できなければ分類もできない。雑草は根が深くもっとも子供たちに愛された草花だった。雑はそれだけ奥深いものだ。 p177 >

【道草】
< 路地を歩くのは楽しい。子どもたちでなくとも道草をしたくなる。まあ、人生は道草、寄り道ばかりである。私なぞ道草の連続で今日までやって来た。高校時代は映画の仕事がしたかったが、大学では建築デザインを学び、学んだものの今では物書きである。そのほか考えると恥ずかしい道草をいくつもしてきた。これからも道草をするだろう。言い訳ではないが、どんな人間だって決められたコースを歩くわけではない。道草でアチコチ揺れた幅こそ、その人間の幅を作ると考えたい。
 路地は大通りよりも広いのだ。都市計画もちょっと道草を。 p183 >

ちょっと怠けるヒント     松山巌の仕事〈1〉路上の症候群―1978‐2000 (松山巖の仕事 1)     松山巌の仕事〈2〉手の孤独、手の力 (松山巖の仕事 2)