茂木健一郎 『疾走する精神』

今日茂木健一郎さんの『疾走する精神』(中公新書)を読んでいると、80年代以降の知の状況について書いてある箇所がありました。

<日本では、一九八〇年代の「ニューアカデミズム」のブーム、バブル経済の狂乱を通して、知的の意味が相対化され、真面目な探求が、時には「ネクラ」などと揶揄の対象とさえなった。結果として「知のデフレ」現象が進行し、「わかりやすさ」の競争が行われた結果、硬派の本が売れにくくなった。今日においても、マスコミに流通している情報の質から見て、またいわゆる「売れ筋の本」の傾向から測る限り、日本の社会は未だにバブル期に前後した「知の崩壊」の後遺症から脱却していないようにも見える。>

こう見ると、1980年代はさまざまな局面で大きな変化のあった年代であったということがわかります。また、「知的崩壊」の後遺症から脱却しないまま今に至っています。

茂木さんは『疾走する精神』についても次のように書いています。

<子どもの頃、朝眼が覚めると、いったい今日は何があるのだろうと、わくわくしたことはなかっただろうか?とりわけ、遠足の日など、これから出会うさまざまなものへの予感で胸がいっぱいになったことはなかっただろうか?疾走する精神のプレリュード。そのようなリズムを取り戻すことができれば、私たちの人生はまだまだ驚きを用意してくれる。>

この本はそうした<疾走する精神を取り戻し、育むための20のレッスン>です。その精神と通して、もう一度学ぶこと、考えることの大切さを教えてくれます。

それがひいては「知的崩壊」の後遺症から脱却するためのヒントになるのかもしれません。

ブログ「茂木健一郎 クオリア日記」で、茂木さんは日々の出来事を書いています。そのブログを見ても、茂木さんの知的生産力の高さ、エネルギッシュな行動力には驚かされます。果たしてその源泉は何なのでしょう。