草森紳一さんの部屋

今日、草森紳一さんの『オフィス・ゲーム』(講談社文庫)を読み終えました。この本の副題は「オフィス空間の生理と心理」で、1986年に出版され、詩人の清水哲夫さんが解説を書いています。

草森さんはオフィス空間の受付から番外編社外オフィスまで、21項目についてコメントをしています。サラリーマンの仕事空間(または生理空間)であるオフィスの問題点を摘出し、それを分析、その本質を指摘しています。

<つまり、日本の働き蜂は、昼夜兼行で働いているのである。遊んでいて、遊べない。逆には遊びはいらない。いや働くことの中に遊びがふくまれて、遊びを独立させる背景がない。江戸の文化は空前の遊びの文化だが、武士サラリーマンは、やはり遊び下手だったのである。たまに仲間で遊べば愚痴になり、町人はこれをみて不粋と笑った。それに比べれば現代のサラリーマンは遊び上手だといえるかもしれない。サラリーマンは、いわば毎日「オフィス・ゲーム」をしているのだともいえるのである。> p288

この本の中に、草森さんの東京の部屋について、次のように書いている箇所がありました。

<私の東京の部屋は、外人が見ようものなら、まさしく混乱の森であろう。一つの地獄である。もうすこしなんとか合理的に本の群を整理できないものかと思うであろう。本の場所をとられて、座る場所もないなどというのは、ナンセンスの極みだとさえ、思えるであろう。人間が、物を支配し、物を利用するのではなく、物に放逐されていると、外人はみなし、せせら笑うだろう。
 そういう眼差しは、かならずしも、見当はずれであるとは、思わない。外人の習慣からは、どうしたって奇異で不合理なしわざに思えても、不思議はない。
 私の側からすれば、あのランダムな本の積みあげ方式は、最大の合理主義にもとづく。ランダムは、人目であって、私の中では、整然としている。たちどころに、自分の欲するものを、とりだすことができる。きっちりと整理されていなければ、気持が悪くなるような者の目からすれば、魔術とも見えるかもしれない。
 魔術でもなんでもない。これは内臓的な整理法であって、一糸乱れぬ、まさに「体系」的な混乱であって、混乱のまま整理整頓されているのだ。> p97-98

自分の欲しいものがすぐ取り出せる、「一糸乱れぬ、まさに「体系」的な混乱」、これこそが草森さんの「内臓的な整理法」です。こうであれば、乱雑に見える積読方式でもまったく問題がありません。

草森さんにとって、残った蔵書のすべてが「混乱のまま整理整頓」されているとしたら、草森さんの亡きいま、この蔵書は混乱のまま未整理の状態です。これを整理しようとして始まったのが、草森紳一蔵書整理プロジェクトです。( 詳細は「崩れた本の山の中から」をご覧ください。)

私もこの状態を「体系」的な混乱と言いたいのですが、そういうわけにはいきません。まだまだ混乱の状態が続いています。この休みの時期に少しでも整理整頓をと思っています。

本の読み方