隈研吾 『10宅論』 と自分という個室

今日は古本を整理していて、一冊の文庫を読み始めてしまいました。これが読み出すと面白いのです。途中下車できなくなり、一気に終着駅に。その本は隈研吾さんの『10宅論』(ちくま文庫)です。

この本のサブタイトルに<10種類の日本人住む10種類の住宅>とあり、<いまの日本人に最も高い関心事である住宅というフィールドで軽やかに展開される現代日文化論>だといいます。文庫の解説は山口昌男さんです。

本文中にどうしても気になる箇所がありました。すでに80年代半ばでこうした指摘があったのです。

<日本の家族のあり方の一つの典型として、「ホテル型家族」というタイプが存在することを、小此木啓吾が指摘している。「ホテル型家族」の場合、家の構成要因各人は、寝るためだけに家に帰ってくるのであり、各人の個室はホテルの客室とまったく同じ機能のものだ、というのが小此木の指摘である。>(『家庭のない家族の時代』*1

さらにこの「ホテル型家族」は変化して、各人の個室はさらに進化し、電脳個室となり、それがいまでは動く個室となっています。部屋に引きこもるばかりでなく、自分の中に引きこもる傾向が強くなっています。

そうすることで、自分自身を防衛しているのか、自分自身に陶酔しているのか。感覚さえも遮断し、眼は携帯の表示を見ているばかり。まさに自分という個室が移動しているという状況です。

この状況でコミュニケーションをと言っても、ムリな話です。では人とのつながりをどこでどのようにして持つのか。この点がこの文庫を読み終わった考えていることです。本筋からは外れますが。

反オブジェクト―建築を溶かし、砕く (ちくま学芸文庫)       10宅論―10種類の日本人が住む10種類の住宅 (ちくま文庫)


*1:『家庭のない家族の時代』は単行本として1983年に集英社から出版され、1986年集英社文庫になり、1992年にちくま文庫に入りました。