朝刊の読書欄より

日曜日の朝はゆっくり目覚め、珈琲を入れて、朝刊の読書欄を読みます。そんな一日の始まり。読書欄の中から、気になった記事を二つ。

一つ目は日経新聞の読書欄で、大澤真幸さん(京都大学教授)が斎藤環さんの『関係の化学としての文学』の書評を書いていました。

冒頭。<「小説」は関係の化学である。こうした確信の上に築かれた文芸批評が本書である。>

さらに中上健次論を引用しながら次の言葉で結んでいます。

<男は愛の対象を所有しようとし、女は愛の対象と関係しようとする。関係はすべて、女の関係を原点にもつ。>

この言葉だけでもいろいろなことを考えさせられます。そして「関係の化学」とはどんなものかを知りたくなります。

この時期、斎藤環さんはこの本と『「文学」の精神分析』の2冊を出版しています。ともに気になる本です。

関係の化学としての文学       「文学」の精神分析



また同じ日経新聞に掲載の亀山郁夫さんの「ドストエフスキーとの旅」を毎回読んでいます。

この連載は亀山さんの自分史と絡めながら、ドストエフスキーの著作を読み解くというもので、いつの間にかドストエフスキーの小説を読んでみたくなります。

この連載にはそういう気にさせる力があります。それは亀山さんの深いドストエフスキー体験に裏打ちされているからです。

<横道にそれることをお許しいただこう。私には今も、一つの信念として思うところがある。つまり、『罪と罰』はできるだけ早い時期に読んだほうがよいが、『悪霊』はできるだけ遅くまで読まないほうがよい、と。『悪霊』はそれほど危険な小説なのである。刺激の強さの点では、『罪と罰』とさほど大きな違いはないが、『悪霊』はあまりにも光度を欠いている。そして読者が、この悲劇的な「神秘」の誘惑に耐えていけるほど強靭にできているとはどうしても思えないのである。>

この連載が単行本になる日が待ち遠しい。

『罪と罰』ノート (平凡社新書 458)