四方田犬彦『ハイスクール1968』の続編

古本屋めぐりをしていると、意外なものを発見することがあります。今回はWASEDA bungaku FreePaper(vol.15 2008 winter)です。

その小特集は「ミシェル・ビュートル」なのですが、四方田犬彦さん、斎藤美奈子さん、上野昂志さんらが各テーマで連載を載せています。それから上澤旬子さん+南陀楼綾繁さんの「けものみち計画の文豪擬獣化宣言」も掲載していました。

その中から四方田さんがコラム「星とともに走る」<『歳月の鉛』を書き終えて>で次のように書いています。

<さてわたしはというと、このほどようやく1970年代の大学生活の回想を書き上げました。いよいよお待たせ、『ハイスクール1968』の続編である。本当はもっと早く書いておく予定であったが、長い間書くことを頑張ってきた。その結果、迂回から枝分かれしたのが『先生とわたし』である。だがいつまでも避けて通るわけにはいかない。思い切ってひと夏を潰し、当時書き綴っていた26冊のノートブックを読み直すことから、各作業に入った。
(中略)
おそらく今度の本はわたしが書いたもののなかでもっとも陰鬱で、不活性なものであるはずだ。書評者がどう扱っていいのかわからず当惑するさまが、今から目に浮かぶ。『1968』の活劇を期待している者は失望するだろうし、歴史的なドキュメントを期待する者は、書き方があまり内省的すぎて、書物を放り出してしまうだろう。だがそれはいたし方ないことだと、書き終わったばかりのわたしは考えている。この書物に関するかぎり、わたしはただ自分の救済のためだけにそれを書いたのです。>

さて、当時の26冊のノートから紡ぎ出されたストーリーはどういうものか。たいへん興味があります。ただただ「自分自身の救済のためにだけに」書かれた本。それが『歳月の鉛』。

四方田さん自身ここまで書くわけですから、活劇でもなく、かなり内省的な内容になるのでしょうが、そう言われれば言われるほど関心が高まります。この本が出版されるのはいつ頃なのでしょうか。

ハイスクール1968      先生とわたし