語りから語り合いの文化へ

日経新聞の1月21日(月)の「インタビュー領空侵犯」に大阪大学学長の鷲田清一さんのインタビューが掲載されていました。その中で、鷲田さんは「議論できる喫茶店を作れ」というテーマで語っています。

そのモデルは17世紀後半に英国に生まれたコーヒーハウスで、18世紀にかけて3000ほど誕生したといいます。そこは中産階級の人が集まって、政治社会を論じたことで公論が形成され、ジャーナリズムが生まれる場所になったそうです。

いまそうした喫茶店がなく、これから作ろうという発案で、おそらく鷲田さんも参画し、ある喫茶店と鉄道会社と大阪大学がコーヒーハウスを立ち上げるため、計画を進めているそうです。

<議論を通して『論』を立ち上げたり、政策提言をまとめたり。そうした知の基礎体力を持たないと、本当のデモクラシーは育たないと思います>
「知の基礎体力」の育成のためのトレーニング・ジムとして、また新しい文化の孵化器としてのコーヒーハウスが今求められている。議論の場を持つことで、コミュニケーションの範囲も広がり、いろいろな人と議論(話)をする作法も身につくことになります。

かつて70年代から80年代初めにかけて、そんな喫茶店が数多くあったように思います。80年代、モノが豊かになり、ファストフードやコンビニが増加していく中、喫茶店は減少していきました。

それは時代と深く関連し、喫茶店の減少が人々の議論する場も減り、話の内容も濃いコーヒーからから薄いコーヒーへと変わっていった時期でもありました。知らぬ間に解体されたのはそうした語り合いの文化でした。

<「70年代に若者が「自分たちのものだ」と思っていたカルチャーは、80年代を通してゆっくり解体され」(p124)、切り売りされ、90年代を通じて「若者には消費をすすめる」社会ができあがっていった>
(「Mの日記@古本T」の『若者殺しの時代 』堀井憲一郎講談社現代新書)のまとめからの引用)

若者殺しの時代 (講談社現代新書)


「若者には消費をすすめる」社会ができあがっていく中で、語り合いの文化でなく、語りの文化が広がっていきました。それが現在に至って、日本人の10人に1人がブログをやっているという、自分語りの現象を生んでいます。

古本TのMさんも、<堀井本が最後で書いている「若者よ逃げろ」というすすめ、果たして賢い選択なのかどうか、疑問は残る>としていますが、状況から逃げることがいいのか、私も疑問です。

逃げるよりも、議論の場としてコーヒーハウスで、語り合いを始め、議論と戦わすた方がいい気がします。モノローグでなく、もっとコミュニケーションを、言い換えれば、語りの文化から語り合いの文化へ、ということになります。

鷲田さんは、<我々はテレビから流れた情報をシャワーのように浴びています。選挙の結果にしても、果たして民意といえるのか。テレビから流れたイメージとして受け取り、それに直情的に反応しただけではないか>

といい、最後に次のように結んでいます。<いま事物を考えるときの「ため」がなくなり、想像力がしぼんでいきます> こうならないようにしたいと思います。

じぶん・この不思議な存在 (講談社現代新書「ジュネス」)