読む/書くということ

今年の年初めから、いろいろな出来事があり、今年も多難な年になりそうな気がします。しばらく中座していましたが、私事が一段落しましたので、ブログを再開します。また四谷書房のサイトは年始更新予定でしたが、もうしばらくお待ち下さい。

久しぶりに「アンテナ@四谷書房」を見ると、未読ブログがどんどん増え、100以上になっていました。メールもチェックすると、迷惑メール(本当にどうにかならないものか)も含んで200近くのメールを受信しました。ブログもメールも日々読んでいかないと、量に圧倒され、読む気が萎えます。

メールは個人的なもの以外は既読にしてしまいました。既読にするということは読む必要がない、その程度の情報?なのかもしれません。しかし、自分が読もうとしない限り、情報は直立し、生きた情報になりません。

情報は単に文字の羅列に過ぎませんが、その羅列を整理し、読解することによって、意味が生成され、その意味が情報を生きた情報にします。その情報を機械的に関連づけるのでなく、創造的に関連付け、新しい意味を創り出すこと、これが読む/書くということでしょう。

<ここでないどこかへ連れていかれることこそ読書の醍醐味である、といった美しい標語を、本をめぐるエッセイなどでしばしば目にする。そのとおりだ、と私も思う。文字を追うに支障のない光がありさえすれば、どんな場所でも、どんな時間でも、書物は私たちをやさしく迎え入れ、疲れや悲しみを癒し、喜びを増幅して、いまという時の流れを、それまで存在すら知らなかった豊かな支流へと引き込んでくれる>
堀江敏幸『アイロンと朝の詩人-回送電車3』(中央公論新社) p209

アイロンと朝の詩人―回送電車3