言葉は常に孤独である

清水幾太郎『論文の書き方』岩波新書

久しぶりに、この新書を読み直しました。奥付を見ますと、昭和39年3月10日 第12刷発行とあります。西暦で1964年ですか。全体は長年の年月を感じさせ、紙は少しザラつき、妙にしなやかでした。背も黄ばんではいますが、懐かしい新書です。

学生時代、新刊は買えませんでしたので、古本で購入しました。当時、論文を書く場合のハウツウ本 (といっていいのかどうか)があまりなく、多くの人がこの本を読んでいたと思います。

読み始めると、どんどん付箋が付き、新書にしては多すぎるくらいとなってしまいました。読んでいて、言葉、文章、論文について考えさせられるところ大でした。

清水さんがこの新書の目的を次のように書いています。

「本書の場合は、主として小学者の小論文を問題にする。即ち、大学の卒業論文やリポート、また、組合を初めとする各種の団体や運動の中で必要になる論文や報告、これから、種々の懸賞論文、講演や演説の草稿・・・・・こういうものを中心に置いている。私は、こうした仕事で苦労している人々のことを絶えず考えながら、この本を書いて来た。」(p212)

内容はそうした人たちを対象とした「知的散文」で、自分の体験も交え、「論文の基本的ルールの幾つかを導き出そうと試みた」ものです。その中でも、「組合を初めとする各種の団体や運動の中で必要になる論文や報告」とは時代を感じさせます。

とはいえ、付箋の数と比例して、読んで感じ入るところが多々あり、論文を書く場合の基本ルールはまだまだ有効だと思いました。そのポイントを目次で追いますと、次の通りです。

  • 短文から始めよう
  • 誰かの真似をしよう
  • 「が」を警戒しよう
  • 日本語を外国語として取り扱おう
  • 「あるがままに」書くことはやめよう
  • 裸一貫で攻めて行こう
  • 経験と抽象との間を往復しよう
  • 新しい時代に文章を生かそう

同書の付箋の付いている箇所を幾つか抜書きします。

「文章においては、言葉は常に孤独である。それは全く言葉だけの世界であって、何処を眺めても、協力者はいない。会話においても多くの協力者がやってくれた仕事を、一つ残らず、言葉が独力でやらなければならない。文章を勉強するには、何に措いても、このことを徹底的に頭に入れておく必要があると思う。」(p70)

「一語は文章を組み立てる石や煉瓦である。しかし、同時に、人間の手で構成される現実を組み立てる石や煉瓦である。文章は一つの建築物である。だが、私たちが文章という建築物を作り上げて行くのは、取りも直さず、現実という建築物を作り上げて行くことである。文章が書かれる前に存在する現実は、むしろ、人間が有意味な現実を作るのに用いる素材に過ぎない。」(p113)

この抜書きをしながら、清水さんも新しい文体、論文の書き方を試行していたのではないか、そんな風にも思えました。この新書はまだまだ古くて新しい本です。