再び、山口治子『瞳さんと』

山口治子『瞳さんと』(小学館)をようやく読了しました。これは山口瞳さんの奥様山口治子さんの聞き書きで、それを中島茂信さんがまとめています。

7/31に、この本について、同じタイトル 山口治子『瞳さんと』を書いて、最後に次のようにまとめました。

「家庭的には、(開高健さんより)山口さんの家庭の方がはるかに幸せで、普通の家庭のように思いますが、さて・・・・・。この本はそうした家庭の内情を解き明かしてくれるでしょう。ドラマチックな生き方もいいのですが、ごく当たり前の日常も、大事だと思うのです」

しかし、この本を読むと、山口瞳さんの家庭も「ごく当たり前の日常」ではなく、山あり谷あり、成功もあれば、失敗もあり、なんとも波乱万丈な日々であったことを知りました。

「初めての口づけせしは稲村の岬の端の砲台の跡」

鎌倉アカデミア*1で出会ったから、平成七年八月三十日死去に至るまでの山口瞳さんとの日々を、温かく、優しく書いています。まさに、生きることは喜怒哀楽。*2

この本の最後に、次のように山口さんから妻へ「京都市立病院に入院中の瞳さんから受け取った手紙をいまも大切にしまってあります。誰にも見せてはいけない、捨ててもいけないと書いてあった手紙」の一文があります。

「ぼくは幸福な夫だ。それから、きみは世界でいちばん素適な夫を持った妻なんだよ。信じてください」

「見せてはいけない」と言ったのに、という山口さんの声が聞こえそうですが、なんともいい一文です。故人の思い出は尽きません。

瞳さんと      

*1:「文部省の許可がおりていない、寺子屋のような学校でした。しかし、そうそうたる先生がそろっていました。哲学者で校長の三枝博音先生、元首相の吉田茂さんの長男吉田健一先生、作家の高見順先生、国文学者の片岡良一先生、歴史家の服部之總先生、哲学者の矢内原伊作先生、評論家の林達夫先生、演出家の千田是也先生をはじめ、私と瞳さんが知り合うきっかけを作ってくださった歌人の吉野秀雄先生も教壇に立たれていました。」p17 
鎌倉アカデミアはこれだけの先生がいた不思議な学校であったと言えます。

*2:山口さんの母については『血族』に、父については『家族』(ともに、文藝春秋)に書いています。