あの頃のサントリー宣伝部

あの頃のというのは、昭和33年山口瞳さんが寿屋(サントリー)に入社して、すでに翌年『洋酒天国』の実質的な編集長をやっていたころか。

山口瞳の人生作法』(新潮文庫)の鼎談・あの熱気はどこからきたのかというテーマで、柳原良平さん、坂根進さん、酒井睦雄さんがあの頃を振り返り、話をしています。その中に、山口瞳さんと開高健さんの比較について書かれている箇所がありました。

柳原
同じサントリーにいて芥川賞直木賞、それで関西と関東、やはり対抗意識はあったんでしょうね。
僕は両方と仕事をしていたので両方それぞれに面白い。僕は東京生まれで関西育ちですから、関西弁もよくわかるし、二人合わせてにで割ったみたいなものです。開高君は関西的に非常にザックバランで豪快なところがある。ただ、他の人が考えているほど彼は豪快一点張りじゃなくて、随分神経質なところがあってそれを大声で誤魔化すんです。相手をガーッと誤魔化しておいて、それで気を遣っているんです。
瞳さんはその反対かもしれない。神経質そうに見えても結構大胆というような思い切ったところがありましたね。(p152-154)

坂根
山口君は頭の先から爪先まで所謂、東京下町フランチャイズの人。一方の開高君は典型的な関西人で全くと言っていいほど違う。(p154)

特に柳原さんの対比は面白い。一般的には開高さんが豪放、山口さんが軽妙という見方ですが、そう簡単に割り切れない面もあることを知りました。柳原さんのコメントを考慮すると、二人の性格は次のようになるのでしょうか。

開高健 豪放細心                               山口瞳 軽妙大胆

最後に、奥さんの山口治子さんの書いた「瞳さんのラブレター」と「夫・瞳さんのこと」が印象に残っています。手紙、日記、短歌が掲載され、いい内容です。それを読むと、なんとも微笑ましく、ほっと安堵のため息をつくのでした。
山口瞳の人生作法』読了。

山口瞳の人生作法 (新潮文庫)