68年の写真家たち

今、ブログで取り上げた中平卓馬さんと森山大道さんの二人についての文章を読んでいました。これはメモをしなければ、とその文章を入力しています。この本、西井一夫さんの『なぜ未だ「プロヴォーク」か』。サブタイトルは「森山大道中平卓馬荒木経惟の登場」です。

 その六八年に「プロヴォーク」がスタートし、何よりも「たしからしさ」への疑義をアジテーションしたこと、アレブレボケの映像の輪郭崩壊は、世界像の輪郭崩壊と視覚イメージで重なり合っていた。そうした大きな世界史的なブレが写真映像に合致して気分を画像に合わせやすかった、ということはあったろう。それだけなら、たまたま偶然、時代の寵児になって、一過性のものとして使い捨てられてよかった。事実、森山大道のように象徴的な存在としてもてはやされた者は、七○年代中半には深刻な病に侵されはじめる。睡眠薬におぼれはじめ、写真が撮れなくなる。中平卓馬は酒と併用したために昏睡し、記憶喪失、失語症となる、といった深刻な事態となった。両人とも、七○年代後半は写真活動ができない空白の時代を過ごしている。この間に、「プロヴォーク」の神話化が始まり、彼らの写真を知らない世代ができる空間期が生じた。この「中断」が、「プロヴォーク」を彼方(追想)へ追いやった、と私は思う。しかし、この中断が重要だった。「中断」を経て、中平や森山が到達した地平は、後述するごとく表現を超える地平であり、日本で写真表現がはじめて成立したといってよい。p7-8

68年の写真家たちは「プロヴォーク」を通して、何をしようとしたのか、また彼らは「空白の時代」をどう過ごしたのか。彼らの今に至る経路を知りたくなります。そして「プロヴォーク」とは何だったのかを考えてみたくなりました。

なぜ未だ「プロヴォーク」か―森山大道、中平卓馬、荒木経惟の登場   写真的記憶   20世紀写真論・終章―無頼派宣言