ブログを書くということ

今日はブログを書くということについて考えました。南陀楼さんが「ナンダロウアヤシゲな日々」で「ちょっと休みます」宣言をしたかと思うと、Hisakoさんがブログ「古書の森日記 by Hisako」の「古書展めぐり/お知らせ」で「書く気力が出ず、このままやめようかとも思った」、「のだが」と続いてくれたのでひと安心。

南陀楼さんが同ブログ「ちょっと休みます」で次にように書いています。気力低下の問題なのか? 昨年のブログを本にするためか? どちらにしても、「もう数日したら旬公が渡米するので、その間は、しっかりと仕事して、一通りメドがついたら、また再開します。」とあるので、再開を待ちたいと思います。

……というような日記は、書いててつまらない。かといって、この先しばらく面白いコトもなさそうなので(というより、オモシロそうなことに感応する気力が低下しているので)、しばらく日記を更新するのを止めておきます。

ブログは個人的なものを公にしているわけです。が、この個人的なものがいろいろなかたちでがつながり、行ったり来たり交流するなかで、また別の新しさを見つけ出したり、独自のものを創り出したり・・・・・。

それに触発されて、またということになり、連鎖が連鎖を呼び、ブログも自分自身も変わっていく。これがブログの効用 ・・・・・ どうかな ・・・・・ それを大そうに考えなくていいのではないかと思っています。

「たかがブログ」、っていうくらいな気持のほうがいいのではないか。書きたくないときは書かない、書きたくなったら書く。そうしたいい意味でのいい加減さを持っていたほうが長続きするのではないか。読んでくれた人に対する感謝の念さえ忘れなければ。

だから、南陀楼さん、ゆっくりと、またHisakoさん、がんばって、としかいえません。それでいいんだと思います。「たかがブログ」であり、「されどブログ」ではないのです。

上記掲載してから何度も加筆訂正しました。どうもしっくりこない思いが残っています。

ちょっと気分転換。

一角獣の頭蓋骨」を読んでいると、ちくま学芸文庫創刊15周年ということで、坪内祐三内澤旬子永江朗という超豪華なメンツが「ちくま」に寄稿しているといいます。明日はそれをもらいに新刊書店へ。