本当の出会いって、なに?

今日の日本経済新聞の「詩歌のこだま」を小池昌代さん(詩人)が書いています。今回は今年の高見順賞を取った岬多可子さんの『桜病院周辺』(書肆山田)について取り上げています。その最後のまとめの一文を抜書きしました。

 自分というのは謎である。内面といったって、何かがあるわけでもない。それでも、底なしの泥の海に直下に掘り進んでいく。自己解体のイメージと書いたが、それは、自分を消滅させていしまいたいという願望でなく、生き難さを乗り越え、自己の本質に降りていきたいという、真摯な希求と私には思える。そして自己探求を深めていった先で、いつか他者と深く出会える瞬間。そんな表現を、これからの岬さんに読んでみたいと思う。


桜病院周辺
岬多可子『桜病院周辺』



その隣りのコラムでは別役実さんが取り上げられていました。河野孝さんの一文です。

 ゴトーがやってきた。しかし本当の出会いは起こらない。情報はたくさんある。ゴドーが来たのも理解できる。が、真の意味での出会いがない。現代社会で人間同士の本当の出会いがないことを象徴している。昨年はベケットの生誕百年だった。ベケットに一区切りをつけるために(新作「やってきたゴドー」)を書いてみたい意味合いもある。

小池さんの「いつか他者と深く出会える瞬間」、またこの「人間同士の本当の出会い」、その出会いを人は求め続けています。しかし、出会えない。でも、本当の出会いって、なに? 出会えないからこそ、出会おうとする営みが繰り返されています。

本当の出会いって、なに? そんなことを自問自答しています。