信用できる美食家

 だから天下に名のある美食家でも、私は大食いの記録をちゃんと残している人しか信用したくない。たとえば、鈴木三重吉によれば、内田百輭は、「貧乏だ貧乏だとぼやいてゐるが、あの野郎家でカツレツを七、八枚喰らひ、人が来れば麦酒を自分一人で一どきに六本も飲んで、その間一度も小便に立たないとほざいてる」(『残夢三昧』)のであったし、吉田健一なら戦争中飯倉の支那料理屋で一皿二円の天ぷらを「すくなくとも八皿平らげた」記録を書き残している(「満腹感」)。こういう人なら食物について何を書いても信用できる。
種村季弘 『食物漫遊記』 (ちくま文庫) p41

種村さんは「そこへいくと私の経験などは実に貧弱なものである。」と嘆いていますが、そうであれば、一般の人の経験は皆無に等しいということになります。この話、食物だけでなく、すべてに通じるように思います。