すべては好奇心から

東京・築地の浜離宮朝日ホールで10月10日に開かれたシンポジウム「闘う建築家・安藤忠雄氏と語る―主題なき時代をどう生き抜くか」(朝日新聞社主催)で、安藤忠雄さんが次のように言っています。

どう生きるか考えろ。可能性は自分の中にある、あきらめるな。しかし頑張らないと可能性はない。

「可能性は自分の中にある」とはいい言葉です。その一点、可能性を信じて、行動するしかないのです。成功と失敗の間で、右往左往することあるでしょう。試行錯誤することもあるでしょう。でも、この点は絶対に譲れない一点です。

一つの言葉からこう思いました。

出会いにはいつもなぜか不思議さを感じます。それは言葉ばかりでなく、次のような人に興味を持つことでもあります。

一九ニ九年八月、岡田は松竹に入社し、その二年後には、不二映画、そして、新興キネマと移籍を繰り返していくのである。見方によっては、一九ニ○年代から三○年代にかけて、雨後の筍のように誕生した映画撮影所を渡り歩いた見本のような俳優だった。谷崎潤一郎に愛され、小津安二郎に高く評価された岡田時雄の人生を辿ることは、日本映画史における揺籃期の撮影所を周遊することでもある。(貴田庄『小津安二郎文壇交遊録』 中公新書 p207-8)

この文章の中の岡田時雄さんという俳優がなぜか気にかかり、「日本映画史における揺籃期の撮影所を周遊」してみたくなりました。

小津安二郎文壇交遊録

ではその関心や興味は何から来るのか。それはすべて好奇心から。それがなければ、言葉にも人にも関心を持ちません。又、それがあるからこそ、ウィルスから宇宙までのことを知ろうと思うのです。

すべては生きることへの好奇心から。