最近日記ばかり読んでいる
最近、私の机の上に日記ばかりが積み上がっています。ここ10月からの読書は日記ばかりを読んでいます。とりわけ何か理由があるわけではないの-ですが、順次読了して、いま高田文夫 『笑芸日記 1996-2005』(ちくま文庫)を読んでいます。
- 南陀楼綾繁『路上派遊書日記』(右文書院)
- 坪内祐三 『本日記』(本の雑誌社)
- 坪内祐三 『酒日誌』(マガジンハウス)
- 山本善行 『古本泣き笑い日記』(青弓社)
- 高田文夫 『笑芸日記 1996-2005』(ちくま文庫)
南陀楼さんの大著、坪内さんの2冊、そして昨日読んだ山本さんの『古本泣き笑い日記』。
山本さんの日記では前に読んだことがあり、この本から木山捷平さんに興味を持ったことを思い出しました。それからしばらくして、Sで木山さんの『茶の木・去年今年』(旺文社文庫)を買いました。また、木山さんの他、洲之内徹さん、加藤一雄さんなどもメモした記憶があります。
例えば、次の引用。
一九九三年十一月号の「クレア」は本の特集をしていて、そのなかで、スタンレー鈴木は「カルトを超えたウルトラマイナーは偉大なニッポン文学」というエッセイを書いている。日本のマイナー作家を分類しているのだが、ミニマリズムを、ある種の欠落、肉体的あるいは精神的な欠落が生み出した文学とし、その欠落感が神経の冴えを増進して、ごく普通の日常を描いても普通でないものができると述べたうえで、小沼丹、上林暁、小山清、木山捷平をその代表的な作家としている。そのほか、日本の「ニューヨーカー」派として、山川方夫、神吉拓郎、野呂邦暢、虫明亜呂無、オールドファッションでない老人文学として、川崎長太郎、結城信一、和田芳恵、野口冨士夫、メタフィクションとして、長谷川四郎、富士正晴、藤枝静男、田中小実昌をあげている。(p106-107)
少し長い引用ですが、スタンレー鈴木さん*1は「マイナー作家」を手際よく分類しています。それも「クレア」で。こうした分類を一つの参考にすると、これらの作家たちの分布もわかり、これからの読書のガイドにもなります。
さて、高田文夫さんの『笑芸日記 1996-2005』を読んだら、次はちくま文庫つながりで、「秋も一箱古本市」でご一緒しました塩山芳明さんの『 出版業界最底辺日記―エロ漫画編集者「嫌われ者の記」』を読みたいと思います。