いい言葉に触発され
いつも日曜日の朝は新聞の書評欄を読むことから始まります。そしてその週に読む本も何冊か決ります。*1 ぶらりと本屋を見るものよし、古本屋に立ち寄るのもよし、ネットで本を注文するのもよし。いろいろな方法で本を買い読むことができます。
そのきっかけのひとつに、書評があります。書評の内容に、またその中の言葉に気持ちが触発されたり、喚起されたりします。ブログのコメントも大いに参考にしてはいるのですが、日曜日の朝はやはり新聞の書評です。
今日の書評より。
朝日新聞のあさのあつこさんの「マンスリー・ブックマーク」を読みますと、こう書いてあります。
三冊目は『いまここに在ることの恥』(辺見庸著、毎日新聞社・1260円)。物語ではありません。でも何かと問われると返事に窮します。フィクションとかノンフィクションとかエッセイとか、そんなジャンルを超え、いやなぎ倒して、ここに在る一冊です。楽しく読むことはできません。重く、鋭く、張りつめた言葉の数々に楚通さえ覚えます。だからこそ読むのです。一瞬の快楽を与えてくれる本は横溢していても、本物の痛みを知らしめてくれる本は稀なのですから。
ジャンルをなぎ倒すほどの「ここに在る一冊」。その一冊が「本当の痛みを知らしめてくれる」。楽しいだけが読書じゃない。そんな一冊をときに読むこともいいんじゃないかと言います。
まさに!
日経新聞では、山田登世子さんが「半歩遅れの読書術」で、冒頭、「本は女と思って選べ」という言葉を引用して、あの、ベンヤミンのことを書いています。
そう、遊歩者ベンヤミンは「断片」の人である。書物は断片を紡いだ織物なのだ。わが偏愛の『一方通行路』は、なかでも選り抜きの寸言を集めた掌編である。他の作品と共にちくま学芸文庫におさめられている(浅井健二郎編訳『ベンヤミン・コレクション3』、1997年)。気がむくままに、好きなところだけ読む。拾い読みこそ「愛読」の正道なのである。
こう読むと、『ベンヤミン・コレクション3』に収録されている『一方通行路』を読みたくなります。手元にあるのはちくま学芸文庫でなく、野村修さんの岩波文庫ですが。*2
「書物は断片を紡いだ織物なのだ。」そう、「本は引用の織物」と言ったのは宮川淳さんでしたか。膨大な断片と引用を残したベンヤミンを再読してみたくなりました。
まずは文庫探しから。*3