堀江敏幸『もののはずみ』よりのメモ

もののはずみ

 実際に使っている「もの」も、見ているだけの「もの」も、特定の生活空間に呼び込まれてはじめて息を吹き返す。ずっとそこに置かれたままで力を発揮する場合もあれば、あちこち移動し、隣りあうなにかとの関係のなかで、それまでの自分にはないあたらしい文脈を発見する場合もある。彼らのしずかな変幻を見守ることも、「物心」のおおきなはらたきのひとつなのだ。つまり、「仏心」ならぬ「物心」とは、「もの」を買ったり愛でたりすることと、かならずしも一致しないのである。どんなにありふれた量産品でも、それが最新であった時代の役目を終え、廃棄されるかわりに生き延びようとするとき、他のだれかのもとではなくこの自分のところにやってくることになっていたいくつもの偶然の重なりと、そこに絡んでいた人と人のつながりをこそ、「物心」あらんと欲する私たちは愛するわけで、もしかすると、「物」じたいより、背後にあるさまざまな「物」を語ることのほうを、物語のほうを大切にしているのかもしれないのである。(堀江敏幸 『もののはずみ』 角川書店 p202)

ひとつひとつの「もの」が、思いがけない言葉と隣りあって、子どもたちの胸ではずむ。もののはずみとは、そんな風に世界をひろげていくための、たいせつな力でもあるのだ。(同書 p203)

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