自らの言葉で考え、自らの言葉を発すること!

今週は帰省していて、新聞のチェックもしていません。東京に戻り、新聞やネットやメールをチェックしました。3日分をまとめて見るのに、意外と時間がかかりました。やはり情報は遡って読むより、即日処理した方がはるかに楽です。

今週のテーマは何と言っても69回目の終戦です。この時点で戦争を体験している人が人口の2割になっているそうです。あとの8割はまったく戦争を知らない世代だと言います。

どんどん戦争を知らない世代が増え、知っている人たちが減り、あの戦争は忘れ去られていくのでしょうか。TVでは戦争の風化を防ぐために、戦争の悲惨さを語り継ぐ特集を放送していました。

やはり、歴史的に語り継ぐことはしっかりと語り継ぐべきです。またそれをさらに次世代に引き継いでいくべきでしょう。もう二度と愚かしいことをしないために、もう二度と人が人を殺さないために。

新聞を整理していると、8月15日の朝日新聞の社説に、哲学者の鶴見俊輔さんが、敗戦の翌年に発表した論文「言葉のお守り的使用法について」の一部が引用されていました。(鶴見俊輔鶴見俊輔集3 記号論集』筑摩書房、1992年)

<政治家が意見を具体化して説明することなしに、お守り言葉をほどよくちりばめた演説や作文で人にうったえようとし、民衆が内容を冷静に検討することなしに、お守り言葉のつかいかたのたくみさに順応してゆく習慣がつづくかぎり、何年かの後にまた戦時とおなじようにうやむやな政治が復活する可能性がのこっている>

さらに、お守り言葉とお守り的使用法についての説明が続きます。

<お守り言葉とは、社会の権力者が扇動的に用い、民衆が自分を守るために身につける言葉である。例えば戦中は「国体」「八紘一宇(はっこういちう)」「翼賛」であり、敗戦後は米国から輸入された「民主」「自由」「デモクラシー」に変わる>

<それらを意味がよくわからないまま使う習慣が「お守り的使用法」だ。当初は単なる飾りに過ぎなかったはずの言葉が、頻繁に使われるうちに実力をつけ、最終的には、自分たちの利益に反することでも、「国体」と言われれば黙従する状況が生まれる。言葉のお守り的使用法はしらずしらず、人びとを不本意なところに連れ込む>

そして、

<お守り言葉に引きずられないためには、借り物ではなく、自分の頭で考えた言葉を声にし、響かせていくしかない。どんな社会に生きたいのか。何を幸せと思うのか。自分なりの平たい言葉で言えるはずだ>

とまとめています。

自らの言葉で考え、自らの言葉を発すること! いまこの時点から始めることこそ大事であり、それが歴史を語り継ぐということにも通じます。