久世光彦さんと開高健さん

先日久世光彦さんの『蝶とヒットラー』(ハルキ文庫) を読みました。そのあと、なぜか開高健さんの本が読みたくなりました。

久世さんの本は事物へのこだわりの本です。これが実に上手い。どこかで開高さんの本とつながりを感じました。開高さんの本のなかから、同じような本を探すと、まず思いついたのが『生物としての静物』(集英社文庫)です。久世さん同様、事物の不思議さについてのエッセイです。

それを読み終えて思うこと。

いつもの開高節は相変わらず健在でした。また、開高さんの名言が各所に散見。これもまた読者としての愉しみです。まだ心地よい酔いが続いています。この酔いが曲者です。いつの間にか、また開高さんの本を手に取っています。

次は『オーパ』か。こればかりは文庫でなく、大型本で読みたい。いまでも写真の迫力は驚異を超えています。

最後に、開高さんの名言をひとつ。少々酔っていますので、その点ご容赦下さい。

<ここで見てもわかるように、デザインで飽きがこないのは、やはり、シンプルである。流行にして不易なのは、つねにシンプルである。文学でも、何でも、それはそうである。ただし、そこに到達するためには、無数の軽薄だったり荘重だったりする試行錯誤、つまり爛熟や腐敗をくぐりぬけなければならぬ、ということであろう。永く続き、永く愛されてきたものにはやはり何かしらそれがそうなってきた不動のサムシングがあるのであり、鬼火のようにゆれてとどまることのないヒトのこころを諸国においてとらえてやまない何かの公分母があるのだと、思いをいたされたし。p125-126>

何と言っても、「不動のサムシング」がいい!

蝶とヒットラー (ハルキ文庫)        生物としての静物 (集英社文庫)