2012-11-10 多和田葉子『溶ける街 透ける路』より 自分の理解できない言語に耳を澄ますのはとても難しい作業だが、文字にこだわらず、「アメリカ」を「メリケン」と書き記したような、繊細で果敢で好奇心に満ちた耳が、かつての日本にもあったはずだと思う。それができなければ、異質の響きをすべて拒否する排他的な耳になってしまい、世界は広がらない。創造的な活動は、まず解釈不可能な世界に耳を傾け続けるところから始まるのではないか、と改めて思った。 多和田葉子『溶ける街 透ける路』日本経済新聞社 p166