堀江敏幸「「手」の言葉 」より

・・・創作のみならず、日常生活を支える言葉も、冷静に燃える指先や、ブロンズにぬくもりを与える掌ではなく、たんに一つの「手」から生まれるのだ。「手」を「手」として生かし、甘えだけでなく厳しさも備えた言葉の精度を上げていかない限り、私たちは、自分でない人の肌に触れることができないのである。
 いま、これが「手」だと呼びうる言葉は、どこにあるのか。ないとは言いたくない。どこかにあると信じていたい。たとえ自分が作り出す力はなくても、すぐれた他者の声のうちに、いつか、かならず、見つけ出したいと思う。
( 日経新聞5/6朝刊の文化欄より )

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いままではツイートを1日まとめて、ブログに掲載するようにしていました。逆にブログの記事からツイートにリンクするケースもあります。そのやり方を試みてみました。これでブログ ↔ ツイッターの相互リンクができるようになりました。

何でもそうですが、まず目で探し、頭で考え、体で覚えるまで、時間がかかります。そのやり方も機会あるごとに使わないと、忘れてしまいます。ひとつのことを体得するにはそれなりの過程が必要です。