引き続き、管啓次郎『コヨーテ読書』を

管啓次郎さんの『狼が連れだって走る月』(河出文庫)を読み終え、次にこの本『コヨーテ読書』(青土社)。そして、こんな箇所に気を留める。

同時に文学とは、現実の世界からは必ず一歩引いた地平を歩むものだ。「文」は、それを書くにも読むにも、相当な時間がかかる。時間がかかるし、精神の持続的集中を必要とする。毎日生起する世界の事件にただちに反応し、意見を述べ、行動に移すこととは、別の時間の層に属する活動だ。印刷され製本され大量に流通する本を読み考える、近代の読書行為としての文学が、「夜」の時空に特別な関係を持ってきたように思われるのは、理由のあることなのだろう。昼間の社会の動きをいったん中断して、人生と社会を成立させるメカニズムそのものを考える。あるいは情動の嵐にひたり、自分の過去との関係を点検し、むすびなおし、未来に別のデザインを、希望を、もちこもうとする。そのためには文学を急がせてはならない。文学は性急さと相いれない。文学はすみやかな返答を求めるべきではない、と思う。答えにならない口ごもり、行動にむかうまえの足のためらい、出発の夜明けがくるまえの待機の夜の期待を、「文」とのつきあいは、日々ひきうけるのだから。
菅啓次郎『コヨーテ読書』青土社 p24-25