オルダス・ハクスレー『夜の音楽』

昨日、図書館から予約した川崎賢子さんの『彼等の昭和』(白水社)が届いているとのメールありました。

早速、今日その本を取りに行きました。図書館に着き、借りた本を返却し、新刊の棚を見ると、今福龍太さんの『レヴィ=ストロース 夜と音楽』(みすず書房)が並んでいました。それを持ってカウンターに行き、予約本と一緒に借り出しました。

読みたい本が手元にあるとこうこと。それは何にもまして愉しみなことです。読みたい本をすべて買うこと・・・実にこれが理想ですが・・・はできせんので、読むためには借りなければなりません。そこで図書館を利用します。

しかし、人気のある本は予約しても、何人、何十人待ちで、読むまでに一ヶ月以上かかる場合もあります。もうその頃になると、予約していたことすら忘れてしまうくらいです。本の熱も冷めるものです。

いま図書館から本を10冊借りられます。10冊を借りて、読めるのはせいぜい半分ぐらいでしょうか。では5冊借りればいいと思うのですが、それができません。読めないでも置いておきたいという、積読本の思いと同じです。

この2冊、面白そうな予感がします。そこで、今福さんの本をぱらぱら見る・・・これをブラウジングといいます・・・と、序章 (リトルネッロ) にこんな言葉が記されていました。

沈黙だけがいつも最後に残る。そして沈黙にほとんど接するように、表現しえぬものを実現しようとやって来るものがある。音楽である。ー オルダス・ハクスレー夜の音楽』

(この音楽を聴く耳を、聞き続ける耳を持てるかどうか。聴くことができるのは選ばれた人たちか、われわれか。音楽はどこからどこへ。音を逃すな! 沈黙に耳をすませ!)

感覚は身体と同じように鈍くなり衰えます。聴覚を衰えさせぬために、聞き取ろうという意識はもっていたい。しかし、意識があっても聞き取れなければ無意味なのです。音楽を聴くということは生半可なことではない!気がします。

彼等の昭和―長谷川海太郎・りん二郎・濬・四郎        レヴィ=ストロース 夜と音楽
 
左:川崎賢子『彼等の昭和』(白水社)
右:今福龍太『レヴィ=ストロース 夜と音楽』(みすず書房)