庄野潤三さんの文学

毎日本についての情報を探して、アンテナ@四谷書房を巡回します。その中に、各新聞社の書評ページがあり、それもひと通り読みます。いい書評はいい読書案内です。

今日読んだ記事の中の、YOMIURI SHINBUN ONLINEに掲載されていた「庄野潤三 震災後への示唆」はまさにそういう記事でした。

この記事を読んで、庄野さんの作品を読み直してみたくなりました。いい書評であればあるほど、そういう気持ちにさせます。これが「書評の力」です。

筆者は7日発売の「新潮」8月号に掲載された庄野さんのデビュー前の小説「逸見(へみ)小学校」読んで、次のように言います。

 家族や日常のかけがえなさを描いた作家、庄野潤三(1921〜2009年)の文学は震災後、新たな意味を持ち始めたのではないか。

 やがて移ろい、消えゆく人間の営みの美しい上澄みだけをすくうこと。その文学に対する姿勢はデビュー前に確立されており、多くの命が失われた戦争が原点だったと気づかされる。

 彼は代表作『夕べの雲』を振り返り、講談社文芸文庫版に寄せた文章「著者から読者へ」で記している。
 <「いま」というのは、いまのいままでそこにあって、たちまち無くなってしまうものである>

と引用し始めると、全文を引用してしまうことになるので、ここまでにします。が、全文を引用したくなる記事です。

さらにこの記事で、庄野潤三さんに関してのサイト「庄野潤三の部屋」があるということを知りました。

このサイトは庄野潤三さんについてのニュースをはじめ、作品紹介、年譜、リンク等が充実し、月に1000人以上の閲覧があるといいます。庄野文学への関心の高さに改めて驚きます。

今回紹介の「逸見(へみ)小学校」も読みたいと思います。また、これを機に庄野文学の見直しが行われるかもしれません。


夕べの雲 (講談社文芸文庫)         野鴨 (講談社文芸文庫)
 
 
愛撫・静物 庄野潤三初期作品集 (講談社文芸文庫)        自分の羽根 庄野潤三随筆集 (講談社文芸文庫)