ボルヘスの「書物」について

 書物は人間が作り出したさまざまな道具類の中でもっとも驚くべきものである。ほかの道具はいずれも人間の体の一部が拡大延長されたものでしかない。たとえば、望遠鏡や顕微鏡、これらは人間の眼が拡大されたものだし、電話は声が、鋤や剣は腕が延長されたものである。それに比べると、書物は記憶と想像力が拡大延長されたものであるという点で、ほかのものとはまったく性格を異にしている。
木村榮一ラテンアメリカ十大小説』岩波新書 p123

そして、あるブロガーの記事のなかに、今福龍太さんの『身体としての書物』(東京外語大学出版会)についてが書いてありました。その本には、ボルヘスが取り上げられており、上記引用も掲載されていました。その箇所を読み進めると、次の一文が書いてありました。これまた書物に関しての「深遠な言葉」です。

古い書物を読むということは、その書かれた日から現在までに経過したすべての時間を読むようなものである。
今福龍太『身体としての書物』東京外国語大学出版会 p100

[追記]そうしたら、どうでしょう。「海文堂書店日記」でJ・L・ボルヘス『詩という仕事について』(岩波文庫)を取り上げていました。何とも、不思議なボルヘスつながりです。同書店の平野さん曰く、「それにしても、岩波文庫ボルヘス5冊目。“エライ!”」。