荒川洋治『田村隆一全集1』の書評

ようやく『田村隆一全集1』の書評が掲載されました。掲載されたのは毎日新聞11/28朝刊の読書欄「今週の本棚」です。それも荒川洋治さんによる、となると、やはり読まずにはいられません。

この書評は詩の本質について語っています。また田村隆一さんの詩の独自性について語っています。一読して、それを要約しようとしましたが、読んでもらった方がいい内容なので、敢えて紹介だけにとどめます。ぜひ、一読下さい。

< 田村隆一は、語法や比喩をはじめとして詩の基本が大衆的なものであることを、誰よりもわかっていたのだろうと思う。何かを表現しようというときに、人なら誰もがもつ「基本の能力」とたたかいつづけた。これまで見えたことのないことばで、危機と恐怖のありかを示そうとした。詩がより大きな世界とかかわって「現代のもの」になる道を示したのだ。それが、この詩人の詩をつらぬくできごとである。>

これを読んだあとに、管啓次郎さんのブログ「Mon pays natal 」の「知己も正鵠も「得る」ことはできない」を読むと、次のように書いてありました。

<学生たちの作文を直すといっても、大部分は言葉遣いがへんなのを直すだけ。そしてその目で見ると、プロの物書きでもずいぶんまちがった言い方がまかり通っているのには日々驚かされる。>

そして最後にこう書いています。

<こうしたことをすべて排して、できるだけ素直な言葉であくまでも現実に即して書くのが原則でしょう。よく知らない言葉は使わないこと。可能なかぎり、誰もが知っている素朴で単純な言葉だけで文章を書くことを心がけたいものです。>

これは、言葉に対しての書き手の心構えについて、書いてあります。当たり前のことを優しく書いていますが、これがなっていない。言葉に対しての感度が鈍くなっていないか。そう問いかけています。

人はひとりで生きているのではありません。言葉を通して、人と共感・共鳴・共振して生きています。その言葉を大事すること。それは相手を大事にすること。その原点を考えれば、言葉にもっと敏感でありたいと思います。

< 人は心に思いをもち、ことばを真剣に求めるとき、平坦(へいたん)な散文のことばではなく、個人的な感受性をうけいれる詩のことばを選ぶ。目の前に模範となるものがなくても、その人のことばをひとりであみだし、ひとりで動かしていくのだ。詩のことばは外からではなく内部からわきでるのだ。それは人がそなえる「基本の能力」のひとつである。>

という、書評の中の荒川さんの言葉を思い返しています。

田村隆一全集 1 (田村隆一全集【全6巻】)        文学の門