「本の本」の話

今日ブログめぐりをし、また読んでみたい本を見つけました。これは別に本でなくてもいいのです。たまたま私の場合は本のなのですが。例えば、音楽であっても、絵画であったも、映画であっても、芝居であっても、構いません。

いつも何かをしたい気持は忘れない。初めのこころの動きに正直でいたい。そして、その思いを実行したい。自分を取り巻く条件の有無に関わらず。それが好きなことをやるということ。

その動きの素はsomething newへの直感か。新しい何かを感じるためには常にアンテナは全方位に対していること。自分の心理から時代の空気までをキャッチする力が全開であることが必要です。

膨大な情報の海のなかで知識/知恵の島を見つけるために、精度のいい羅針盤 =「本の本」を持つことが不可欠です。これは航海をする上での基本テキストであり、ガイドブックです。

私の場合は読書の合間にこうした本を読みます。読み通す本と読みきれない本があります。いつも読もうとして、まだ読み切れない痛恨の1冊が斎藤美奈子さんの『本の本』です。厚過ぎる!( 暑過ぎる!)

この本のページ数を考えれば、通読するというよりも、辞書と同じように棚に並べ、必要なときに引くという本だと割り切ったほうがいいのかもしれません。読む本があるなら、引く本があってもいい。「本の本」の読み方もさまざまです。

前置きはそのくらいにして、今日紹介の「本の本」は「フクヘン。」というブログに掲載されていた松浦弥太郎著『ぼくのいい本こういう本1』『ぼくのいい本こういう本2』(ダイエックス出版)のブックエッセイ集です。

<雑誌『装苑』『アルネ』『GINZA』のために書かれたブックエッセイをまとめている。
いわゆる書評でないところが良くて、それが人気の秘密なんだろうな。
大橋歩さんは松浦さんのそういう文章を「本を巡る旅のようなエッセイ」と描写し、
淀川美代子さんは「私的な生活が、チラリと感じられる」と見抜く。>

書評でない書評? どうも「本の本」らしくない本らしい。特に大橋さんの「本をめぐる旅」という言葉が松浦さんの文章にふさわしいのではないか。そんな気がして仕方ない。

これはそうしたブック・トラベラー(こうした言葉があるのかどうか)としての松浦さんの旅行ノートです。松浦流「本を旅する」なのです。