丸谷才一『文学のレッスン』

先日読み始めた丸谷才一『文学のレッスン』(新潮社)を読み終えました。

まずテーマが広すぎるきらいがあったのではないでしょうか。それを感じました。次の8項目に分けて話をしていますが、それでもまだ漠然としている感がします。それだけ対象が大きすぎたということでしょう。

【短編小説】 もしも雑誌がなかったら
【長編小説】 どこからきてどこにゆくのか
【伝記・自伝】伝記はなぜイギリスで繁栄したか
【歴史】    物語を読むように歴史を読む
【批評】    学問とエッセイの重なるところ
【エッセイ】  定義に挑戦するもの
【戯曲】    芝居には色気が大事だ
【詩】      詩は酒の肴になる 

それでも、読ませるのは丸谷さんの知識と経験と話術。とりわけ話術です。話題が大きすぎれば、その話題を分割し、独自の視点からその話をする。これが丸谷さんの話術というより話芸でしょう。

その丸谷さんがエッセイ(雑文)を書くときのポイントについて、野坂昭如さんを取り上げながら書いています。ここに書くときの大切な教示があります。

<昔、野坂昭如が、雑文というのは結局、冗談と雑学とゴシップの三つだといったことがあった。僕はなるほどそうだなと思って、もっぱらその三つでやっているわけ。あれは野坂理論でしたね。で、その三つで書くんですが、それによって何かいわなきゃならない。何かをいうことによって、丸谷でなければならないもの、ほかの店には売っていないものをださなければならない。それは考えて書いています。うんと具体的な方法としては、一つには文章が読んでいてすっきりと頭に入るということ、つまりゴタゴタしないように書く、もう一つは話題に新味があっておもしろいということ、その二つを心がけて書くんですね。>

まず<丸谷でなければならないもの>が大事。その人の独自性=個性が表現できていなければ、誰が書いても同じ文書になります。丸谷さんは『文章読本』で<学習−模倣してもなおかつおのづから出て来るものが真の個性>だと言っています。

そのためには、<ゴタゴタしないように書く>ことと<話題に新味があっておもしろいということ>だといいます。すっきりと新味を加えてということになります。が、この新味がむずかしい。

その点を意識して書かねば、<丸谷でなければならないもの>が生まれません。ここが一番きついところです。しかし、試行錯誤しながら、閾値を超え、いいエッセイ(雑文)が書けるようになるといいます。新味だけでなく、書くことは本当にむずかしい。

書くには考えることが必要です。思考すること。そのためにはもう一度丸谷さんの『思考のレッスン』を読んだほうがいいのかもしれません。書く前に考えるためにも、考えながら書くためにも、書いた後考えるためにも。

思考のレッスン           文学のレッスン