「内田樹の研究室」の緊急避難

一昨日から「内田樹の研究室」のドアが開かないので、どうしたものかと思っていたら、昨日ようやくブログを見ることができました。旧ブログには<あまりに頻繁にサーバがダウンするので、とりあえず緊急避難的にこちらに引っ越しました。 http://uchida-tatsuru.blogspot.com/ どうぞよろしく。>とありました。

同ブログへのアクセスが増えて、サーバがダウンするのだから、これはすごいことです。気になるのは日々内田さんのブログにどれだけのアクセスがあるかです。新旧ブログにアクセス数が表示されているので、それを見ると、なんと2万以上です。人気のブログといっていいでしょう。

先のブログにも書きましたが、この「内田樹の研究室」と「茂木健一郎 クオリア日記*1はアンテナに登録してあるブログの中でもトップクラスでしょう。茂木さんのブログのアクセス数が表示されていないのでわかりませんが、相当の数に上ると予測されます。

新しいブログに目を移すと、グーグル携帯iPodの購入が一番であることに触れ、最後にこう書いています。

<でも、なんか入力方式が違うと、ツイッターみたいな文体になっちゃいますね。変なの。>

この指摘は大事だと直感しました。いろいろなメディアが進化するなかで、日常を生活を快適にしてくれるのはいいことなのですが、入力方法によって文体が変わるということはありえるでしょう。文体も意識の固定と流動のなかで生まれます。流動を固定化する方法が変われば、結果にも少なからず影響を及ぼします。

内田さんの言う「ツイッターみたいな文体」って、ありえます。

街場のアメリカ論 (文春文庫)          街場の中国論



*1:このブログにリンクすると、6/8「誰もが同じ情報に接していたマスメディアの時代が終焉し、能動性とロングテールが共進化する時代」について書いてありました。その中で、茂木さんは<幅広い知識を持ち、成熟した世界観を持つ人が参照する情報源は、よりクオリティの高いものである可能性が高い。そのような情報に接することで、その人の世界観はより深まるだろう。一方、「ゆるい」あるいは「偏った」情報源に接している人は、脳の中でそのような認識の回路を自己強化してしまうだろう。>と書いています。認識の回路を「自己強化」しないためには、その回路を閉じるのではなく、開くことです。