本を「読む」ということ
今日の読書ブログ「本屋のほんね」で、『東京ブックナビ』(東京地図出版)を取り上げています。その中で「ブ」に触れて、次のように書いています。
<ちなみにブックオフで載っているのは、秋葉原・飯田橋・荻窪・渋谷・自由が丘・白金台・西五反田の7店舗。もしブックオフで「勝手に本屋ミシュラン」を書こうと思ったらやっぱりこれらの店になるだろうと思うので、コメント書いてる方はプロ目線だと思う。>
なるほど。この「ブ」7店舗の中で、まだ行っていないところもあります。今度機会があれば、一巡してみたいと思います。
「ブ」に通い始めた頃は「読む」ために「買う」であったのが、最近は「売る」ために「買う」になりつつあります。また「買う」ことばかりに気を取られ、本を「読む」ということがおろそかになっています。
ブログ「読書で日暮らし」の「洲之内徹『人魚を見た人』を買う」では帯から洲之内徹さんの言葉を引用しています。
< 批評や鑑賞のために絵があるのではない。絵があって、言う言葉もなく見入っているときに絵は絵なのだ。何か気の利いたひと言も言わなければならないものと考えて絵を見る、そういう現代の習性は不幸だ。>
「本があって、言う言葉もなく読んでいるときに本は本なのだ。」と置換すると、読書の本質を言い当ていると思いますが、どうでしょう。
Tsubuteさんは最後に<本は、第一に読むものであることを忘れずにおきたい。>と結んでいます。この言葉に同感します。
まずは基本に立ち戻って、読書をしたい、そう思いました。