リンク=つながるということ
今日ブログを読んでいると、先日取り上げた堀江敏幸『子午線を求めて』(講談社文庫)を晩鮭亭さんが「晩鮭亭日常」で紹介していまた。yomunelさんから四谷書房、さらに晩鮭亭さんへとリンクしました。
また、津野海太郎『おかしな時代』(本の雑誌社)を取り上げると、すぐに紅屋さんが「空想書店 書肆紅屋」のブログに掲載していました。紅屋さんとは同じ本を取り上げることが多いのですが、いつも先手を取られます。
こうして本は本を呼び、本のつながりがまたつながり、どんどんと植物の根のように地中深く拡がっていきます。花開くこともあり、また別な花を咲かせることもあります。どんなつながりを生むかはその本を読んでからになります。
本はそうしたリンクを通して、過去の人、現在の人、未来の人につながります。おそらく意識するしないに関わらず、複雑に絡み合って。こうしたリンク=つながりが実に不思議で面白い。
今週は携帯本として鹿島茂著『フランス歳時記』(中公新書)を読了し、坂崎重盛著『蒐集する猿』(ちくま文庫)を読んでいます。この本は著者が蒐集したものをきっかけに話が自由自在に時空を超えて展開していきます。
またこの本の中で東京本を取り上げています。その東京本の延長線上に、著者の『東京遊覧本』(晶文社)や『東京読書−少々造園的心情による−』(晶文社)があります。東京本に関心のある方は『蒐集する猿』とこの2冊を一読下さい。
最後に『蒐集する猿』の「あとがき」より引用。
<もともと本というものは、書くより読む方が十倍楽しい。さらにコレクターとしては読むより、それをさがしだし、入手するほうがさらに三倍は楽しい。
この『蒐集する猿』なる1冊も、マジメな人に読まれるよりも、物好きのご仁や道楽者にさがしだされる本であったら、どんなにか格好いいことか、と図々しくも夢想するのである。>(p321)