単行本と文庫のカバーデザイン

今日ブログめぐりをしていると、7/19「読書で日暮らし」の「匿名書評の意味」で、「風」の百目鬼恭三郎さんに触れ、「狐」の山村修さんのことを書いていました。

<こんな言葉は、そう簡単に言えるものではない。人はふつう、他人から認められたいと願うものである。評判になったら、何かのチャンスに名前を公表するのは自然なことのように思う。それを、山村修は、名前がきれいに消えること、それだけでいいといった。書評者が、理想の書評文を書いた時、名前が消える― これは、書評に魂を込めている者にしか言えない言葉ではないだろうか。>

それにしても、評判になったら、名前を公表するのは当然。それをなればなるほど、自分の名前を消すといいます。「狐」さんんは<書評に魂を込めている者にしか言えない言葉>を書き込んでいたと思います。(<こんな言葉>については同ブログをご覧下さい)

また気になったのは「狐」=山村修さんの本が全品紹介されています。それを見ていると、単行本と文庫のデザインがかなりちがうことがわかります。例えば、『禁煙の愉しみ』を比べてみます。

禁煙の愉しみ     禁煙の愉しみ (新潮OH!文庫)


単行本と文庫のカバーデザインがこれだけ違うのです。カバーは衣装という人もいますが、形態が変わるとその衣装も作り直すことになります。こうした衣装比較も面白いかもしれません。

見た目も大事な時代です。もちろん中身も大事であることは言うまでもありませんが。