読む本と眺める本
昨日、当ブログの日付と記事が1日ズレていました。そのズレを調整したら、その日の記事が消えてしまいました。最近は直に書き込んでいるので、元に戻らずでした。
同時に、黒岩さんのコメントもズレてしまいました。この点のお知らせとお詫びを記載しました。日付を間違うなんて? どうもいただけません。自分の不甲斐なさに意気消沈しています。
気を取り直し、昨日のことを書きます。昨日は久しぶりに古本屋に行き、本を購入しました。内野安打あり、ヒットなし。最近、長打がありません?
- 多田道太郎『ことわざの風景』(講談社)
- 開高 健 『黄昏の一杯』(潮出版社)
- 出久根達郎『古書彷徨』(新泉社)
- 池内 紀 『世紀末のウィーンを歩く』(新潮社)
- 松下竜一 『豆腐屋の四季』(講談社文庫)
- 常盤新平編『ニューヨーク読本1・2・3』(福武文庫)
- 寺田 博 『決定版 百冊の時代小説』(文春文庫)
- 志村ふくみ 『一色一生』(講談社文芸文庫)
多田さんの本は函入り本。こうした本がめずらしくなりました。この本の発行は1980年。こうした本のかたちにもその時代が反映しています。
またこの本の装幀がいい。タイトルはあの自己主張する田村文字。函も帯も本体までも凝っています。この本は、読む本だけでなく、見る本でもあります。
本全体をひとつの作品と考えるならば、そうした見る本・・・あるいは眺める本・・・が少なくなった気がします。