喪中につき

今年の12月はなぜか「喪中につき」のはがきが4枚? これは誰がどうしたわけでもなく、そういうめぐり合わせとしか言えません。私の両親・親戚の年齢がそう言う年齢であるということ。また、今年はそれが重なったのです。

それにしても、親戚・知り合いがなくなるということはやはり寂しいものです。いままで顔見知りで、それも小さい頃からお世話になっている人であればあるほど、辛いものです。誰しも歳には勝てないものです。そして死にも。

ネット・ニュースを見ていると、多田道太郎さんが2日に亡くなった記事を読みました。asahi.com では次のように書いていましたので、長い闘病生活であったことがわかりました。前文に、病魔にも勝てないと付け加えるべきでしょう。

<京都大人文研教授だった83年に胃かいようの手術を受けて以来、体調がすぐれず、入退院を繰り返した。96年1月初めに定期検査で入院、治療を続けていた。>

多田さんをいままでずっと社会学者と思っていましたが、本当はフランス文学者だったことを今回の記事で知りました。

それだけ<京都大人文研での共同研究などを通じて、日常生活や風俗、遊びの中に価値を見いだす独特の手法を確立。独自の日本文化論を展開した>という「独自の日本文化論」の印象が強かったせいでしょうか。

手元にある多田さんの著作を見ても、そうした視点からものが多いのです。例えば、『複製芸術論』『しぐさの日本文化』『風俗学』『遊びと日本人』など。

すぐ取り出せたのが、『風俗学』(ちくまぶっくす)でした。この文章は、平易でわかりやすく、それでいて広く深く、という内容です。

さらにこの本は桑原武夫さんを会長として、鶴見俊輔、橋本峰雄さんらがとともに参加していた「現代風俗研究会」のひとつの成果だといいます。

同会の桑原、橋本、多田さんと亡くなり、健在なのは鶴見さん。多田さんのご冥福をお祈りするとともに、鶴見さんにはこれからも健康であってほしいと思います。*1

*1:こう書いてから、本日の朝日新聞の朝刊を見ていくと、文化欄に鶴見俊輔さんが「言語自在に風俗研究」という多田道太郎さんを悼むという文を寄稿していました。
これを読むと、京大人文研の共同研究で多田さんはルソーの「言語起源論」を掘り起こし、それに独自の位置を与えたといいます。また、それがその後の多田さんの仕事の全体をささえたそうです。
このほかに桑原武夫さんの校長をしていた市民学校講義があり、名だたる教授たちの中で、話芸として多田道太郎の講義は随一の出来栄えであったようです。
こうした身近な人による追悼文からさらに多田さんの別な面を知ることができます。