忙しさの中での読書
昨日(土曜)のブログを書いていないので、一日遅れのブログを書くことにします。家の近くでは信州高遠のコヒガン桜が満開です。この高遠の桜は全国的に有名で、白いソメイヨシノとは違い、開花の時は薄紅色になります。
あと一週間で4月。学校は新学期、企業は新年度と、忙しい一年が始まります。3月最終週はその準備で、慌ただしくなることが予想されます。これはどの職場でも同じです。そしてあっという間にゴールデンウィークになってしまいます。
そんな忙しさの中での読書? 日経新聞の3/25朝刊の「半歩遅れの読書術」で、松山巌さんがこんなことを書いていました。
本好きの方なら身に覚えがあるのではないだろうか。忙しく気も急いて読書する余裕もないときに限って、つい本に手を伸ばしてページをめくってしまう。
本好きの皆さんはこうしたことを何度も経験していることでしょう。これには自分の心の状態が何かやるためのレベルに達していることが必要です。読書はこの点が他のメディアとちがいます。
しかし、これも限度というものがあります。達していない場合は本を手に取ることさえできません。これは古書・新古書店をめぐり、見ることの限界を超えた場合次の店に入る意欲さえなくなるのと同じです。
おそらく本好きの疲労度は忙しい中で本が読めるかどうかで測定できるのではないでしょうか。
通常はその限度を超し何かをすることで、ムリができるようになったり、またそのムリが心に負担をかけ、何もできなくなるということもあります。何かをやるということは常にその両面があります。
自分と状況の中で、自分の限度を超えて何かをするということが大事なのでしょうが、・・・・・。今は自分の限度を超えてというよりわきまえてがふさわしい年齢になってしまいました。