秋山駿さんのこと

昨日久しぶりに図書館に行くと、新刊のコーナーに秋山駿さんの『私小説という人生』(新潮社)が並んでいました。秋山駿という批評家・・・まして文学評論というと・・・やはりそのままそっと置かれたままで・・・。*1

私はその本と手に取り、図書館から借りてきました。2/4の日経新聞の「詩歌・教養」*2のページを読んでいると、秋山駿さんと新刊『私小説という人生』が取り上げられていました。

かつて私も秋山駿さんの本、『内部の人間』や『地下室の手記』などを読みました。それははるかに遠い日の思い出です。当時は「内向の世代」といわれた風潮のなかで、秋山さんはその世代の批評家のひとりでした。*3

新聞の写真をみるかぎり、秋山駿さんがいい顔で写っています。若い日の秋山さんはいつも何かを見つめているという印象でしたが、この写真は笑顔です。何か吹っ切れたという感じを受けました。

この文を書いた浦田憲治さんが「徹底して考える人だ。」と評していますが、私もそうだと思います。それがときに考えすぎるという結果になることもあるのでしょうが、秋山さんの「石ころのように生きてきた」ことは多くに人に再度考える意味を教えてくれたと思います。

だからこの紹介の最後に次のようにいえるのだと思います。「三十年、毎日柱を削っているような職人がいなくなったね」こうしたことばを言える秋山さんも何年批評という木を削ってきたのでしょう。ひっとしたら、削り過ぎて、もうなにもないよ*4、と言っているような気がしてならないのです。

この本、秋山駿著『私小説という人生』をゆっくりじっくり考えながら読んでみようと思います。

私小説という人生

*1:文学?という人が多くなったか。難しそうなものを避けてか。これは仕方のないことか。「とり残される」ということも文学のあり方のひとつか。そこから新しい何かが生まれるかもしれない・・・そういう思いもあるのですが・・・。

*2:こうした新聞の表示のなかで「教養」を使われると、結構古い感じがしますが、これは私の思い込み。

*3:当時はあまり内向きでという評価が強かったように思いますが、晩年いろいろな賞も受賞し、いままでの秋山さんの批評活動が評価された証しです。

*4:これが一個の石の夢なのかもしれません。