新聞の書評より

日曜日の朝は新聞の書評欄を読むことから始まります。もちろん家で読むことになりますが、これが愉しい時間なのです。本についてのいろいろな思いが交錯し、これもいいあれもいいと、次の読書への期待が高まります。

いま暖冬といっても寒いので屋外はムリですが、春から秋にかけては屋外で新聞を広げて、のんびりと時を過ごす。また冬でも行きつけのコーヒーショップに行き新聞を読む。これも愉しいひとときです。

ふと、ニューヨークを思い出します。

セントラルパークに行くと、朝早くからベンチに多くの人が座り、分厚いニューヨークタイムズを読んでいる人を見かけます。ゆっくり時間をかけて読み、のんびり朝を過ごす。

そのあとは昼を食べ、メトロポリタンに行くか、五番街に行くか、それともブロードウェイへ行くか。そうして日曜日の午後を過ごす。いつも足早に歩くのですが、こうした休日はちがいます。それぞれがゆったりと自分のペースで歩いています。

この思い出、以前「Web読書手帖」に書いたような気がします。

( ま、いいか。)

朝の新聞の書評欄から、書評の内容についてではないのですが、付箋の使い方という点で次の箇所が抜き書きしました。これは付箋の、書く人のの使い方と読む人の使い方です。

日経新聞2/4朝刊、文化部の中野稔さんの「活字の海で」より藤沢周平さんの一人娘遠藤展子さんの『父・藤沢周平との暮し』を取り上げて。

「父の本棚には付箋を貼り、書き込みがある本が何冊もあります。多くのものは十数ページも付箋が貼ってあります。ただ誤植を直しているだけでなく、表現を少し変えたり、書き足したりしているのです。」

次は同紙、安野光雅(画家)さんの「半歩遅れの読書術」より。

わたしは付箋を貼る癖があるが、たとえばその著(中野好夫さんの)『アラビアのロレンス』(岩波新書)の場合も、付箋をはらないページはないほどだった。

本に書き込む人、本に線を引く人、本に付箋を貼る人など、本のマーキングはさまざまな方法があります。付箋ができてから、本を傷めることなく、使用できる付箋はたいへん便利です。

安野さんも藤沢さんも付箋を使用しています。私も付箋派なので、これからも大いに付箋を活用したいと思います。