今日の一言

今日の日経新聞朝刊の「春秋」で、秋の訪れについて書いています。その中で引用されている、高橋悠治さんの言葉が印象に残りました。

見えにくいものに眼をこらし、ききとりにくい音に耳を澄ますとき、心が澄んでいるのに気づく( 『消えていく音』*1 )

人は往々にして見えやすいものを見、聞き取りやすい音を聞きます。それは眼をこらす必要もなければ、耳を澄ますこともありません。いつもながら見聞きすることは変わらぬ日常であり、いまの連続です。

そこで、フラットの中に、凹凸を見つけるには変化する非日常が必要になります。そして眼をこらし、耳を澄ませないと、こころに気づくことができません。澄んだ心になるということは、ちょっとした気配りが必要なのです。

音の静寂静寂の音
高橋悠治 『音の静寂静寂の音』 (平凡社 2004.11)*2

*1:この書名を調べたのですが、見当たりません。書名は別名で、その中の題名か? 少し調べてみます。

*2:寡作の音楽家高橋悠治さんの最新作、といっても2004年のものです。かつて高橋さんも参加していた「水牛通信」(1980-1987)、それが今でも読むことができます。詳しくは「水牛通信電子化計画」をご覧下さい。