今日の一言
今日の日経新聞朝刊の「春秋」で、秋の訪れについて書いています。その中で引用されている、高橋悠治さんの言葉が印象に残りました。
見えにくいものに眼をこらし、ききとりにくい音に耳を澄ますとき、心が澄んでいるのに気づく( 『消えていく音』*1 )
人は往々にして見えやすいものを見、聞き取りやすい音を聞きます。それは眼をこらす必要もなければ、耳を澄ますこともありません。いつもながら見聞きすることは変わらぬ日常であり、いまの連続です。
そこで、フラットの中に、凹凸を見つけるには変化する非日常が必要になります。そして眼をこらし、耳を澄ませないと、こころに気づくことができません。澄んだ心になるということは、ちょっとした気配りが必要なのです。