多和田葉子『言葉と歩く日記』より

多和田葉子『言葉と歩く日記』岩波新書より

 言語はわたしにとって体系ではなく、一種の「できごと」なのではないかと気づいた時、日記という形式が私にとっては言語について書き記すのにふさわしいのではないかと思った。自分の身に毎日どんなことが起こるか、予想できないし、操作もできない。誰に会うかは、相手が拒否しない限り、ある程度自分で決められるが、その人が何を言い出すかは予想できない。言葉は常に驚きなのだ。p64

 引用、これもひとつのできごと。これもひとつの驚き。