時にはカミュでも

今週は私事多忙、ツイートもままならず、あっという間に、今日になっていました。書こうと思いながらも、いつも時間に追われ、追いかけようとするのですが、追いつかずの毎日でした。

いつもように、こともなく、時が過ぎればいいのですが、そういう訳にもいきません。常に日常変化あり。変化は突然訪れます。すぐに対処できればいいのですが、そう簡単に収まるわけではありません。

その時こそ、問われるのが対応力。変化への対応、変化を革新する。それができればいいのですが、それが何ともままなりません。いくら年を重ねても、物事に対応し革新することの難しさを実感しています。

神々がシーシュポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂にまで達すると、岩はそれ自体の重さでいつもころがり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど怖ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。

カミュ『シーシュポスの神話』(清水徹訳 新潮文庫)p168

シーシュポスの神話 (新潮文庫)

かつて読んだカミュの文庫の
カバーデザインは麹谷宏さんのものでした。