倉本聰さんが富良野塾で教えたこと

いま倉本聰さんの「私の履歴書」が日経新聞に掲載されています。初回から読み始めて、8月27日で26回となりました。ここまでは倉本さんが生まれ、富良野塾を始めるまでが書いてあります。

特に26回の「富良野塾誕生」ではなぜ富良野塾を開塾したのかが書いてあります。また、27回では閉塾した事情にまで触れています。何事も、言うは易く行うは難し、です。何でも簡単にできるわけではありません。

事実、「富良野塾」も入塾試験に180名が来て、15名を採用し、期間は2年でしたが、結局、男女6人ずつが残りました。そうしたなかで、倉本さんが塾生に教えたかったのは次のことでした。

<僕は海抜ゼロ、根っこ、氷山をたとえに使った。5合目からではなく海抜ゼロから考えろ、地中に張り巡らされている根っこや7分の6が海中にある氷山から考えろ、と言い続けた。そもそもの根本から始めるんだよ>

富良野塾」は1984年4月6日に開塾し、2010年4月4日に閉塾しましたが、それまでに、447人を受け入れ、約380人が卒業、ライターや役者の仕事をしている人がその1/3。そのとき倉本さんは75歳 (現在80歳)になっていました。

定本 北の国から         愚者の旅―わがドラマ放浪