日記について思うこと

<「おれと代るがわるメモしよう。それならつけるか?」。武田泰淳は妻にこう持ちかけ、山荘での暮らしを記録させるようになったという。のちに出版され評判を呼ぶ「富士日記」誕生の経緯である。この日記で、泰淳没後にもうひとりの作家・武田百合子は出現した>。(日経新聞 11/30 「春秋」より)

今日、年賀状と来年の日記帳(予定表)を買いました。いま日記帳をつけている人はどれだけいるのでしょう。手書きでのもの、PCでのものなど、日記の種類もつけ方もさまざまです。

上記の通り、武田百合子さんは『富士日記』によって作家・武田百合子になったとも言われています。またコラムはその他の日記として<荷風山田風太郎古川ロッパ……。読み出したら止まらぬ日記は多い>と書き、先日ブログでも取り上げた『五十嵐日記』にも触れていました。

人はなぜ日記を書くのでしょう。それが自らの存在の証しのため。あるいは生きた時代の記録のため。いろいろな目的があります。いまここで、自らの感じ、考え、書く。それは生きることそのもの。日々日記を書くことで自ら生き方を遺言として書き残すことになります。

一日一生。(一日の記録が一生の記録 一日一日を大切に)。